オーストラリア珍道中

シドニーオペラハウス

暫くご無沙汰で~す。いつになったら「国際結婚」の話が出て来るの?と皆さんからお叱りを受けました。すみません、これから暫くは「国際結婚」についてお話して行きましょう。乳がんサバイバーは金曜日のみとさせていただきます。

さて、9月23日から私はオーストラリアのシドニーへ飛び立ちます。実はここ2~3年、新型コロナウイルスの蔓延で、家族と会えない日が長く続き、淋しさい思いを感じていたので、やれやれ、ようやくという思いです。

初めてオーストラリアの地を踏んだのは、今から40年位前だった。

最初の日本人との結婚が破れ、まだ20代の真ん中で若かったこともあり、まるで籠の中にいた鳥が自由に空に飛び立つように、この大きな自由を思いっきり謳歌したかったのだ。肩へ乗っていた錘を取るように、私は海外へ飛び立った。

今迄できなかったことをやりたい!この離婚によって、大きな壁が崩れ落ちて自由に空を飛んでいきたいと思ったのだ。「あぁ~、私はもう自由だ!今迄のように箱入り奥様なんて言われることもない。私はこの道を自ら選んだのだった。

まず、小さい頃から憧れていた海外へ行ってみたい。それには、日本の英会話学校で英語を学び直さないとならない。そうだ、友人を誘ってオーストラリアへ留学をしよう!と決めたのだった。

英会話の学校のクラスで気の合う人達で、小さなパーティーをたまに開いていた。その中でアメリカ滞在の長い女性がいて、彼女のアドバイスで救世軍の寄宿舎を探してみることにした。今のようなメールで何でもできる時代ではなく、宿泊先に手紙を送ったのだった。そして、手紙で返信があった。

オーストラリアを留学先に選んだのは、いくつかの理由があった。それは今度機会があったら詳しくお話したい。まずは、私は友達より一足早く飛び立っことになった。季節はクリスマスシーズンだ。冬の日本から夏のオーストラリアへ。

シンガポール経由でメルボルンの空港へ着いた。空港でのスーツケースがグルグルと回ってくるのだけれど、いつまで待っても私のスーツケースが出て来ない。乗客はみな去り、最後に私だけが取り残された。

「ハァ~、自分のスーツケースが出て来ない!」「エッ~、何で?私のスーツケースはどこへ行ったの!」私はパニック状態に、、、最後の1個は残念なことに私のではなかった。たった一人見知らぬシドニー空港へ取り残されてしまったのだ。もう周りに乗客達はいない。

まずは落ち着いて、空港の係の人に尋ね、デスクで書類を書くことになった。私のスーツケースは見つからず、どうも間違ってメルボルンではなく、次のシドニー空港へ行ってしまったらしい。

ウワ~!なんてこっちゃ!私は書類に自分の滞在先を記入した。

メルボルン空港でタクシーを拾い、滞在先へと急いだ。デスクへまっすぐに行くと、年配の品の良い中年の男性が受付で対応してくれた。私はスーツケースが間違ってメルボルンからシドニーへ行ってしまったので、シンガポールエアラインの人から連絡が入ると思うと告げて、鍵をもらい自分の部屋へ上がって行った。何もかも歴史のある古い建物で趣があった。ドアーを開けるとシングルベッドと洗面所、トイレ、ミラー付きのキャビネットがあり、ここの水道の蛇口は古い昔ながらの金色の蛇口で、建物自体もレンガ色で歴史的な年月を感じるものであった。シテイへは徒歩20分ほどで良い立地にあった。

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