7歳の時

テンパのテラコ

母は私が3歳の時に、写真館で写真を撮ったのだが、髪を直前で梳かしてしまったことを後悔したそうだ。髪がボンパーになってしまったと。そのため、7歳の時は、失敗を繰り返さないように美容師さんに任せたようだった。上手くカットされ髪が落ち着いている。

小学校3~4年からは、髪は毎日三つ編みに編んだ。そのためか、私は三つ編みが上手だ。

友達と喧嘩をすると、「天然パーマ!天然パーマ!」と呼ばれた。小学校の5~6年生では、放送部に所属していた。当番の時は午後の授業が終わると、放送室へ行き、当時木琴だったのかどうか忘れたが、言葉の前にピンポンパンポンと音を鳴らした。そして、マイクを持った。「OO小学校の皆さん、今日の授業は終わりました。寄り道をしないで帰りましょう!」とゆっくり話すのだ。終わるとまた木琴を鳴らした。2022年の現在もこの小学校では、当時と全く同じように、アナウンスされている。このアナウンスを聞くたび、子供の頃を思い出し、懐かしく、微笑ましさを感じるのだ。

ある時、放送部の5~6年生が全員集まることになった。1人の男の上級生が「お前、天然パーマかよ。アフリカ人みたいだな!」と言ったのだ。今でこそ、多様性が尊重され始め、縮毛を生かしてファッショナブルで素敵と思ったりするがその頃は異なった。小学生の高学年になると、徒党時代とも言われ、ギャングエ-ジとも呼ばれる。子供は好奇心が強く思ったことをそのまま口に出す。ある意味では残酷な時代でもあるのだ。私はその後、学校内外でこの子を見かけるとなるべく避けて別の道を歩いた。この子には長く「いじめっ子」「嫌いな子」のイメージがあって、その後もこうした状況が続いた。この子が6年生を卒業すると“あっ~”と、気分爽快になったものだ。

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